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Kardinia 1970_edited.png

1970年頃、スタントン・ヒル、ビクトリア・ストリート11番地にあった旧日本領事館の外で、領事、家族、職員一同。

カーディニア

タウンズビル、ビクトリア・ストリート 11-13番地

オーストラリアで最初の公式な日本領事館

1896年にタウンズビルに日本領事館が設立されたことは画期的な出来事であり、当時の日本にとってイギリス帝国内にある重要な外交機関となりました。タウンズビルが選ばれたのは戦略的な理由からです。賑やかな港は、北部のサトウキビ産業や真珠貝採取産業、そして南部の政治的中心地への直接的な海路を提供していました。

初代領事である中川恒次郎(なかがわつねじろう) の任命は、日本が北部オーストラリアに対して抱いていた外交・商業への関心、そして、北部オーストラリアにおける日系人コミュニティの重要性を示していました。

「カーディニア (Kardinia)」と呼ばれるこの建物は、1908年までタウンズビルにおける日本領事館として使われました。

公的な役割を終えた後も、この建物の遺産は受け継がれています。ポール・トノワ氏とジューン・トノワ氏は1984年にこの建物を購入し、大規模な修復に着手しました。その集大成として1996年に百周年記念式典が開催され、その独特な歴史が称えられました。この場所は現在も日本の外交官による訪問を受け入れており、その永続的な重要性を示しています。

最後のタウンズビル日本領事、成田五郎とその妻(1906年)

最後のタウンズビル日本領事、成田五郎とその妻(1906年)

日本海軍練習艦隊の来訪

1903年、タウンズビルのカーディニアの前で、田結領事の家族と海軍提督。

1970年のカーディニア

1970年頃、スタントン・ヒル、ビクトリア・ストリート11番地にあった旧日本領事館の外で、領事と家族、職員一同。

カーディニアの子供たち

1900年頃、カーディニアの裏庭で遊ぶ領事館職員の子供たち。

田結鉚三郎

タウンズビル日本領事、田結鉚三郎氏(1900年頃)。

「時を歩く:日豪シンポジウムと歴史散歩」プロジェクトは、オーストラリア政府外務貿易省内に設置されている豪日交流基金 (Australia-Japan Foundation) の支援を受けています。また、日本オーストラリア学会 (Australian Studies Association of Japan) およびジェームズ・クック大学 (James Cook University) からの寛大なご支援なしには実現不可能でした。

このツアーおよびその基礎となる研究と画像は、福島大学の村上雄一教授 (Professor Yuichi Murakami) とジェームズ・クック大学のティアナ・キロラン博士 (Dr Tianna Killoran) が行った研究の成果です。

お問い合わせや詳細については、tianna.killoran@jcu.edu.au までご連絡ください。

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