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東豊吉商店 

タウンズビル、フリンダーズ・ストリート 453番地

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東豊吉の肖像写真(1921年頃)。彼の書き取り能力試験免除証明書からのもので、出典はNAA: J2483, 286/72。

新入荷で一流の日本製商品

1914年から1919年にかけて、この場所には東豊吉の店がありました。

タウンズビルの旧ブレティン新聞社(Bulletin office)の向かい側を見ていただけると、その場所を想像できるでしょう。当時の新聞広告には、店の住所は単に「ブレティン新聞社向かい」とだけ記載されていました。この店は、手頃な価格で「新品で一流の」多種多様な日本製商品、例えば、美しい絹織物、着物、ティーセット、ハンドバッグ、そして新しい汽船が到着するごとに運び込まれるおもちゃなどを販売することで知られ、地元で人気を集めていました。

店主の東豊吉は、コミュニティで尊敬される人物でした。彼は1898年に日本の和歌山からタウンズビルに到着しました。自身の店を開業する前から「店主(storekeeper)」と名乗り、タウンズビルの日本人倶楽部の活動的なメンバーとして、病院基金などの市民プロジェクトに貢献していました。

1919年、東は大規模な在庫一掃セールをもって引退と閉店を発表し、日本へ帰国しました。しかし、タウンズビルでの彼の物語はここで終わりませんでした! 彼は1921年に戻り、驚くべき転身を遂げ、1922年にフリンダーズ・ストリートにあったO.K.ジャパニーズ・ランドリーの経営者となりました。彼はこの成功したランドリーを長年にわたって経営し、おそらく1936年に亡くなるまで続けました。彼はタウンズビルのベルギー庭園墓地の無縁墓地に埋葬されています。

「時を歩く:日豪シンポジウムと歴史散歩」プロジェクトは、オーストラリア政府外務貿易省内に設置されている豪日交流基金 (Australia-Japan Foundation) の支援を受けています。また、日本オーストラリア学会 (Australian Studies Association of Japan) およびジェームズ・クック大学 (James Cook University) からの寛大なご支援なしには実現不可能でした。

このツアーおよびその基礎となる研究と画像は、福島大学の村上雄一教授 (Professor Yuichi Murakami) とジェームズ・クック大学のティアナ・キロラン博士 (Dr Tianna Killoran) が行った研究の成果です。

お問い合わせや詳細については、tianna.killoran@jcu.edu.au までご連絡ください。

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