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1913年、タウンズビル、フリンダーズ・ストリート・イーストの、卸売・小売商、田嶋の店舗

田嶋の店

タウンズビル、フリンダーズ・ストリート 235番地

「田嶋」の物語

この場所は、タウンズビルで最も初期かつ最も成功した日系企業の一つが置かれていた場所です。1890年代後半に大和商会として創業し、1905年頃に田嶋由松に引き継がれました。その後、卸売・小売の店「Y. TASHIMA」として知られるようになります。

由松とその妻、田嶋カメは、この店を地元の名店へと変貌させた、尊敬される実業家でした。由松は日本の和歌山の商家出身で、彼らは多種多様な日本製商品を販売しました。その成功は非常に大きく、1910年代半ばまでに田嶋商会はブリスベン、シドニー、メルボルンへと事業を拡大しました。妻のカメはビジネスに積極的に関わり、特に店内の婦人服部門で顧客に助言を提供しました。夫婦ともにタウンズビルで尊敬を集める実業家でした。

1922年に田嶋由松が本社をブリスベンに移転すると、この店は前芝虎次郎に引き継がれ、フジ屋と改名されました。藤屋は日本の織物や骨董品を販売し続けましたが、1924年3月に火災により建物が全焼するという悲劇に見舞われます。

消失を免れた商品で救済セールを行い再開したにもかかわらず、前芝一家はその後まもなく日本へ帰国しました。この店は、一時的に他の人物によって経営された後、1929年に荒木商店へと引き継がれ、1933年頃に最終的に閉店するまでフジ屋として営業を続けました。これにより、この場所における日系企業の数十年にわたる歴史に幕が下ろされました。

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1914年6月の田嶋商会の広告

富士絹を販売中

フジ屋の店の広告。タウンズビル・デイリー・ブレティン紙、1923年8月30日付。

女性実業家、田嶋カメ

田嶋カメは夫と共に店を経営していました。これは、彼女の書き取り能力試験免除証明書に添付されていた田嶋カメの写真(1918年頃)です。出典:National Archives of Australia (NAA), J2483, 256/63。

1922年の田嶋商会の広告

田嶋商会の広告。クレープ・デ・シン、ジョーゼット、富士絹、綿クレープなどの新入荷商品を含む。

実業家、田嶋由松

田嶋由松はタウンズビルのフリンダーズ・ストリートにあった田嶋の店を経営していました。これは、彼の書き取り能力試験免除証明書に添付されていた田嶋由松の写真(1913年頃)です。出典:National Archives of Australia (NAA), J2483, 124/89。

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1916年の田嶋商会の広告

富士絹の素敵な柄が全て揃っています。

田嶋家がタウンズビルを離れた後、フリンダーズ・ストリートの店を引き継いだフジ屋の1925年の広告。

「時を歩く:日豪シンポジウムと歴史散歩」プロジェクトは、オーストラリア政府外務貿易省内に設置されている豪日交流基金 (Australia-Japan Foundation) の支援を受けています。また、日本オーストラリア学会 (Australian Studies Association of Japan) およびジェームズ・クック大学 (James Cook University) からの寛大なご支援なしには実現不可能でした。

このツアーおよびその基礎となる研究と画像は、福島大学の村上雄一教授 (Professor Yuichi Murakami) とジェームズ・クック大学のティアナ・キロラン博士 (Dr Tianna Killoran) が行った研究の成果です。

お問い合わせや詳細については、tianna.killoran@jcu.edu.au までご連絡ください。

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