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1920年代頃のフリンダーズ・ストリート・ウェスト。フリンダーズ・ストリート方向に向かって撮影されており、右手にグレート・ノーザン・ホテルが見える。当時のフジ・ランドリーは、ホテルから4軒目に位置していました。

増田、フジ・ランドリー

タウンズビル、フリンダーズ・ストリートのオグデン・ストリート駐車場

広島からタウンズビルへ

アナンデールのマスダ通りは、T・マスダにちなんで名付けられました。タウンズビルに初期に移住した日本人の一人にちなんで名付けられた通りは、私たちが知る限り、ここだけです。

現在は駐車場になっていますが、かつてこの場所にはタウンズビルで最も長い歴史を持つ日本人経営の企業の一つ、増田ランドリー、そして、その後はフジ・ランドリー、がありました。1903年から地域社会に貢献し、この街の多文化史において重要な一章を刻み続けました。

このクリーニング店は、1893年に広島からオーストラリアに渡った増田トキサブロー(トキ)によって創業されました。彼はおそらく、1903年に最初の洗濯屋を始める前は、サトウキビ農園で年季労働者としてこの地で生活を始めたのでしょう。彼はいくつかの名前で知られ、墓地の公式記録には「トーマス」と英語名で記されていますが、ベルギー庭園墓地にある彼の墓石には、増田新右衛門(ますだしんえもん)と漢字で刻まれています。

1928年に彼が亡くなった後も、フジ・ランドリーは数年間営業を続け、その成功を証明しました。1930年代には、フジ・ランドリーはタウンズビルに数多く存在する日系ランドリーの一つに過ぎませんでした。

増田ランドリーの広告。出典:タウンズビル・デイリー・ブレティン紙、1926年12月4日付、2ページ。オリジナル資料を見るにはこちらをクリックしてください。

「時を歩く:日豪シンポジウムと歴史散歩」プロジェクトは、オーストラリア政府外務貿易省内に設置されている豪日交流基金 (Australia-Japan Foundation) の支援を受けています。また、日本オーストラリア学会 (Australian Studies Association of Japan) およびジェームズ・クック大学 (James Cook University) からの寛大なご支援なしには実現不可能でした。

このツアーおよびその基礎となる研究と画像は、福島大学の村上雄一教授 (Professor Yuichi Murakami) とジェームズ・クック大学のティアナ・キロラン博士 (Dr Tianna Killoran) が行った研究の成果です。

お問い合わせや詳細については、tianna.killoran@jcu.edu.au までご連絡ください。

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